Mainichi ga Kinyohbi♪ HPとすみれの花の事
きょうは 漱石の日だそうです。
夏目漱石 (1867年2月9日〜1916年12月9日 享年49歳)
なぜ今日なのかというと
1911年(明治44年)2月21日、文部省から夏目漱石に文学博士の称号が贈られることになったのですが、漱石は肩書きは必要ないと 手紙で辞退したのだそうです。
それを記念して 漱石の日・・・誰が決めたんでしょうね。
で なんで 取り上げたかというと〜
漱石の作品の中に すみれの俳句 4首あるんです。
正岡子規に 俳句を学んでいます。
心太俳諧通信に 漱石のすみれの句についての考察が載っていました。
菫の俳論はここ
なかその内容に触れつつ・・・
○大和路や紀の路へつヾく菫草 (明治29年 30歳ぐらい)
…芭蕉の 山路来てなにやらゆかしすみれ草 の句 からつながるらしい
○菫程な小さき人に生れたし (明治30年 31歳ぐらい)
…これは すみれ好きの方には 有名な句ではないでしょうか。
でも この時期の漱石にとってネガティブな意味があるようです。
という文があるそうです。
○見付けたる菫の花や夕明かり (明治34年 35歳ぐらい)
…英国に留学中の作で「或詩人の作を読で非常に嬉しかりし時」と添書きがあるそうです。
○骸骨を叩いて見たる菫かな (明治37年 38歳ぐらい)
…蕪村の句に 骨拾う人にしたしき菫かな というのがありますが・・・
菫程な小さき人がうつむきながら よりそっている 情景が〜
きょうの誕生花の中に 紫のすみれがあったので 紫より青っぽいけど アオイスミレを
'08.06.09 群馬県
ちょっと古い画像ですが、ここのアオイスミレは 今までで一番しっかりとした植物体で大きな群落だったので印象が強く残っています。
夏目漱石 (1867年2月9日〜1916年12月9日 享年49歳)
なぜ今日なのかというと
1911年(明治44年)2月21日、文部省から夏目漱石に文学博士の称号が贈られることになったのですが、漱石は肩書きは必要ないと 手紙で辞退したのだそうです。
それを記念して 漱石の日・・・誰が決めたんでしょうね。
で なんで 取り上げたかというと〜
漱石の作品の中に すみれの俳句 4首あるんです。
正岡子規に 俳句を学んでいます。
心太俳諧通信に 漱石のすみれの句についての考察が載っていました。
菫の俳論はここ
なかその内容に触れつつ・・・
○大和路や紀の路へつヾく菫草 (明治29年 30歳ぐらい)
…芭蕉の 山路来てなにやらゆかしすみれ草 の句 からつながるらしい
○菫程な小さき人に生れたし (明治30年 31歳ぐらい)
…これは すみれ好きの方には 有名な句ではないでしょうか。
でも この時期の漱石にとってネガティブな意味があるようです。
「菫程な小さい人が、黄金の槌で瑪瑙(めのう)の碁石でもつゞけ様に敲いているよう
な気がする」文鳥 明治41年
という文があるそうです。
○見付けたる菫の花や夕明かり (明治34年 35歳ぐらい)
…英国に留学中の作で「或詩人の作を読で非常に嬉しかりし時」と添書きがあるそうです。
○骸骨を叩いて見たる菫かな (明治37年 38歳ぐらい)
…蕪村の句に 骨拾う人にしたしき菫かな というのがありますが・・・
菫程な小さき人がうつむきながら よりそっている 情景が〜
きょうの誕生花の中に 紫のすみれがあったので 紫より青っぽいけど アオイスミレを
'08.06.09 群馬県
ちょっと古い画像ですが、ここのアオイスミレは 今までで一番しっかりとした植物体で大きな群落だったので印象が強く残っています。
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アオイのコロニ、見事ですね。
俳句やられてたんでしたね。
是非、すみれの句を〜!!
アオイの場所は山からかえるバスを待っている時間にぶらぶらしているときにみつけたので、気がついたときはバスが行ってしまって、順番待ちに置いていた私のリュックがぽつんと残っていました(^-^;
そうですよね〜^^
そのあと次のバスまでずいぶんあったので、またアオイの場所まで行ってびくびくしながらうろうろしてました^^;